昨日の続きです。
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③別の世界が重なる感じ

「エブエブ」は別のバースにいる自分を体験しつつ、地となるバースともリンクしているため別バースの自分の力を使えるという設定でした。

二つの世界を行き来しているわけではなく、オブラートがはりつくように、あるバースが別のバースに重なってなじむ感じでしたよね。それを映像で表現する方法として、レンズないしは鏡が割れてエヴリンが増える、ものすごい速度でエヴリンの他バースでの姿が重ねられるってのがありました。

「別の世界が普通に今いる世界と地続きであらわれて、まったく区別がつかなくなる」という体験は私もよくあります。

それは、睡魔に襲われながら四谷くんと電話している時です。


うたた寝しているとき、浅い夢を見てゆめうつつになる感覚とほぼ同じではありますが、電話ではより世界が曖昧になります。

そもそも電話は目の前にいない人と即時で喋ってるので、バースが違っててもおかしくない、映画でいうと、通信機でアルファ・ウェイモンドとしゃべってるみたいな状態です。見えない人と喋っているという目と耳のズレもあります。

そんなときに軽い夢を見ると、目の前にクリアな世界が広がります。意識も朦朧としてるし、ハナから目と耳の情報が違うので、そんなに違和感を持ちません。

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そのまま、夢でみている状況に基づいて喋ってしまうのです。(わたしにはくっきりカワウソがみえている、四谷くんとカワウソの話はしていない)

一つのスクリーンに投影するという縛りがある映画で、あんなにぐちゃぐちゃ感が出せてすごいなあと思いました。

多分商業映画という縛りがなかったら、壁4面をスクリーンにして、各バースの様子を同時に投影して音声をガンガンに重ねたり、目が痛いくらいの高速で画面がスイッチするシーンがもっとあったりしたかも?と考えます。映像と音声のほかにも、色んなメディアや素材を使いまくった作品になったかもしれません。

エヴリンが他バースに移っていて上の空になっている状態(字幕は宙がどうこうって言ってた気がする)を、ウェイモンドは發呆(ファータイ、ボーッとしているの意味)と表現していました。

「エブエブ」の広東語タイトルは「天馬行空」、考え方や行動が天馬が空を駆けるように自由なことを指す言葉です。おそらくここで自由に飛んでいくのは「考え、着想」でしょう。エヴリンはカンフーで戦ったりと行動も自由ではありましたが、自分の脳内でのバースの行き来が映画での世界の広がりになっています。全人類を巻き込んではいるけれど、割と脳内での話ってことになってます。(それを唯一共有するのがジョイでしたが)

そういう意味では狭くも広い、広くも狭いエヴリンの脳内の話です。めちゃくちゃ規模のでかいマルチバースSFだけど、いい感じに風呂敷が広がりすぎず、家族や周囲の人の話に終始しても嫌なこじんまり感がなかったのかなと思います。


書こうと思ってなかったことがボンボンでてきてびっくりしました。明日も続きを書きます。